寺院資料・催物・講座・書籍等紹介

真宗大谷派岡崎教区内関係の寺院資料・催物・講座等を順次紹介します。

2019-01-02   映画「沖縄スパイ戦史」上映と三上智恵監督の講演案内

2018-09-08   書籍紹介「生活の中心に南無阿弥陀仏を」池田勇諦師講述

2018 08-06 戦争と仏教―戦争は戦争の顔をしてこない―/山内小夜子

      大谷派における非戦・平和の取り組み/山内小夜子

2018-08-04 帰敬式執行の手引き(再版)

2018-07-10 夏の御文紹介

2018-06-10 真宗大谷派寺院記録

映画「沖縄スパイ戦史」上映と三上智恵監督の講演案内

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沖縄スパイ戦史
三上智恵監督
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PDFファイル 6.5 MB

2019年3月15日(金)13:00~17:30

会場 岡崎教務所

映画上映(114分)

三上智恵監督の講演会・質疑応答

 



書籍紹介「生活の中心に南無阿弥陀仏を」池田勇諦師講述

■書籍紹介

 本年4月15日に開かれた第10組「同朋のつどい」における池田勇諦師の講義を講義録として編纂しました。ぜひご一読ください。

 

◆一部300円(送料別)

◆問い合わせ 

 第10組願正寺 電話 0563-57-5011


真宗大谷派(東本願寺)大阪教区銀杏通信より2冊紹介

夏の御文

・夏御文を紹介します。

聖教電子化研究会より抜粋(http://seiten.icho.gr.jp/)

 

 *846  夏御文(げのおふみ)

[1]

 そもそも、今日の聖教を聴聞のためにとて、皆々これへ御より候うことは、信心の謂われをよくよくこころえられ候いて、今日よりは、御こころをうかうかと御もち候わで、ききわけられ候わでは、なにの所用もなきことにあるべく候う。そのいわれをただいまもうすべく候う。御耳をすましてよくよくきこしめし候うべし。

 それ、安心と申すは、もろもろの雑行をすてて、一心に、弥陀如来をたのみ、今度の我等が後生たすけたまえと申すをこそ、安心を決定したる行者とは申し候うなれ。此の謂われをしりてのうえの仏恩報謝の念仏とは申すことにて候うなり。されば、聖人の『和讃』(正像末)にも、「智恵の念仏うることは 法蔵願力のなせるなり」「信心の智恵にいりてこそ 仏恩報ずる身とはなれ」とおおせられたり。このこころをもってこころえられ候わんこと肝要にて候う。それについては、まず、「念仏の行者、南無阿弥陀仏の名号をきかば、あは、はやわが往生は成就しにけり、十方衆生往生成就せずは正覚とらじとちかいたまいし法蔵菩薩の正覚の果名なるがゆえに、とおもうべし」(安心決定鈔)といえり。また「極楽という名をきかば、あは、我が往生すべきところを成就したまいけり、衆生往生せずは正覚とらじとちかいたまいし法蔵比丘の成就したまえる極楽よ、とおもうべし」(同)。また「本願を信じ、名号をとなうとも、余所なる仏の功徳とおもいて、名号に功をいれなば、

*847などか往生をとげざらんなんどおもわんは、かなしかるべきことなり。ひしと、われらが往生成就せしすがたを、南無阿弥陀仏とはいいけるという信心おこりぬれば、仏体すなわちわれらが往生の行なるがゆえに、一声のところに往生を決定するなり」(同)。このこころは、安心をとりてのうえのことどもにて侍るなりとこころえらるべきことなりと、おもうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

   明応七年五月下旬

 

[2]

 そもそも、今日、御影前へ御まいり候う面々は、聖教をよみ候うを御聴聞のためにてぞ御入り候うらん。されば、いずれの所にても聖教を聴聞せられ候うときも、その義理をききわけらるる分も更に候わで、ただ人目計のように、みなみなあつまられ候うことは、なにの篇目もなきようにおぼえ候う。それ、聖教をよみ候うことも、他力の信心をとらしめんがためにこそ、よみ候うことにて候うに、更にその謂われをききわけ候いて、わが信のあさきをもなおされ候わんことこそ、仏法の本意にてはあるべきに、毎日に聖教があるとては、しるもしらぬも、よられ候うことは、所詮もなきことにて候う。今日よりしては、あいかまえて、その謂われをききわけられ候いて、もとの信心のわろきことをも人にたずねられ候いて、なおされ候わでは、かなうべからず候う。その分をよくよくこころえられ候いて、聴聞候わば、自行化他のため、然るべきことにて候う。そのとおりを、あらまし、只今申し侍るべく候う。御耳をすまして御きき候え。

 それ、安心と申すは、いかなるつみのふかき人も、もろもろの雑行をすてて、一心に弥陀如来をたのみ、今度の我等が後生たすけたまえともうすをこそ、安心を決定したる念仏の行者とは申すなり。この謂われをよく

*848決定してのうえの仏恩報謝のためといえることにては候うなれ。されば、聖人の『和讃』(正像末)にも、このこころを、「智慧の念仏うることは 法蔵願力のなせるなり 信心の智慧なかりせば いかでか涅槃をさとらまし」とおおせられたり。此の信心をよくよく決定候わでは、仏恩報尽ともうすことはあるまじきことにて候う。なにと御こころえ候うやらん。この分をよくよく御こころえ候いて、みなみな御かえり候わば、やがて、やどやどにても、信心のとおりをあいたがいに沙汰せられ候いて、信心決定候わば、今度の往生極楽は一定にてあるべきことにて候う。あなかしこ、あなかしこ。

   明応七年五月下旬

 

[3]

 そもそも、今月は既に前住上人の御正忌にてわたらせおわしますあいだ、未安心の人々は信心をよくよくとらせたまい候わば、すなわち今月前住の報謝ともなるべく候う。されば、この去んぬる夏比よりこの間にいたるまで、毎日に、形のごとく耳ぢかなる聖教のぬきがきなんどをえらびいだして、あらあらよみ申すようにそうろうといえども、来臨の道俗男女を凡そみおよび申し候うに、いつも体にて、更にそのいろもみえましまさずとおぼえ候う。所詮それをいかんと申し候うに、毎日の聖教になにたることを、とうときとも、また殊勝なるとも申され候う人々の、一人も御入り候わぬ時は、なにの諸篇もなきことにて候う。信心のとおりをもまたひとすじめを御ききわけ候いてこそ、連々の聴聞の一かどにても候わんずるに、うかうかと御入り候う体たらく、言語道断然るべからず覚え候う。たとえば、聖教をよみ候うと申すも、他力信心をとらしめんがためばかりのことにて候う間、初心のかたがたは、あいかまえて、今日のこの御影前を御たちいで候わば、やが

*849て不審なることをも申されて、人々にたずね申され候いて、信心決定せられ候わんずることこそ肝要たるべく候う。その分よくよく御こころえあるべく候う。それにつき候いては、なにまでも入り候うまじく候う。弥陀をたのみ信心を御とりあるべく候う。その安心のすがたを、ただいま、めずらしからず候えども、申すべく候う。御こころをしずめ、ねぶりをさましてねんごろに聴聞候え。

 それ、親鸞聖人のすすめましまし候う他力の安心と申すは、なにのようもなく一心に弥陀如来をひしとたのみ、後生たすけたまえと申さん人々は、十人も百人も、のこらず極楽に往生すべきこと、さらにそのうたがいあるべからず候う。この分を面々各々に御こころえ候いて、みなみな本々へ御かえりあるべく候う。あなかしこ、あなかしこ。

   明応七年六月中旬

 

[4]

 そもそも、今月十八日の前に、安心の次第、あらあら御ものがたり申し候う処に、面々聴聞の御人数のかたがた、いかが御こころえ候うや、御こころもとなくおぼえ候う。いくたび申しても、ただおなじ体に御ききなし候いて、毎日において、随分、勘文をよみ申し候うその甲斐もあるべからず、ただ一すじめの信心のとおり御こころえの分も候わでは、更々、所詮なきことにて候う。されば、未安心の御すがた、ただ人目ばかりの御心中を御もち候うかたがたは、毎日の聖教には、中々、聴聞のことも無益かとおぼえ候う。その謂われはいかんと申し候うに、はや此の夏中もなかばはすぎて、二十四・五日の間のことにて候う。また上来も、毎日聖教の勘文をえらびよみ申し候えども、たれにても一人として、今日の聖教になにと申したることの、とうとき

*850ともまた不審なるとも、おおせられ候う人数、一人も御入り候わず。此の夏中と申さんもいまのことにて候う間、みなみな人目ばかり名聞の体たらく、言語道断あさましくおぼえ候う。これぼどに毎日耳ぢかに聖教の中をえらびいだし申し候えども、つれなく御わたり候うこと、誠に、ことのたとえに、鹿の角をはちのさしたるように、みなみなおぼしめし候う間、千万千万勿体なく候う。一は無道心、一は無興隆ともおぼえ候う。此の聖教をよみ申し候わんも、今三十日の内のことにて候う。いつまでのようにつれなく御心中も御なおり候わでは、真実真実無道心に候う。誠に、たからの山にいりて手をむなしくしてかえらんにひとしかるべく候う。さればとて、当流の安心をとられ候わんにつけても、なにのわずらいか御わたり候わんや。今日よりして、ひしとみなみなおぼしめしたち候いて、信心を決定候いて、このたびの往生極楽をおぼしめしさだめられ候わば、誠に上人の御素意にも本意とおぼしめし候うべきものなり。この夏の初めよりすでに百日のあいだ、かたのごとく安心のおもむき申し候うといえども、誠に御心におもいいれられ候うすがたも、さのみみえたまい候わずおぼえ候う。すでに夏中と申すも、今日明日ばかりのことにて候う。こののちも、此の間の体たらくにて御入りあるべく候うや、あさましくおぼえ候う。よくよく、安心の次第、人にあいたずねられ候いて、決定せらるべく候う。はや明日までのことにて候う間、此のごとくかたく申し候うなり。よくよく御こころえあるべく候うなり。あなかしこ、あなかしこ。

   明応七年七月中旬

真宗大谷派寺院記録を紹介します。

国立国会図書館デジタルコレクションに下記のデータがあります。橙色の文字列をクリックすると開きます。データのダウンロードできますよ。

 

真宗両本願寺末派寺院明細録大全 菅竜貫編(共益義会1892)

大谷派寺院録 (大谷派本願寺文書科, 1911)

大谷派寺院録 (大谷派本願寺文書科, 1912)

真宗大谷派寺院録 (真宗大谷派宗務所文書課, 1933)

 

志貴野製瓦場記念碑・真宗講師因明院壽頌碑・櫻部大梁壽碑の碑文が紹介されています。

三河金石文字集 三河全国高等小学校長会 大正8年

 

台嶺師関係もご覧ください。

明治辛未殉教絵史 田中長嶺著 (精華堂1911)

台嶺遺稿 一名・改悔文講述 石川了円著 (石川了因1890)

桜井村史 (桜井村1943)