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第18回 第九組門徒研修の報告
夏期講習講師のお知らせ
第九組門徒会だより第52号 春の法要参拝
第九組門徒会だより第51号 年間行事予定報告
第九組門徒会だより第50号 帰敬式・Q&A
第九組門徒会だより第49号 帰敬式・報徳会
第九組 夏期講習のあしあと
相続講 闡如上人御消息
吉崎東別院
吉崎東別院本堂
・7月16日(火)
大型バスは福泉寺を6時少し前に出ます。4か所立寄り、「おはようございます」の挨拶とともに毎回お世話になる門徒さんの顔がふえていきますよ。小牧グランド近くに来ますと門徒の皆さんバスに注目です。勿論私たちもじろじろと見やります。天気予報、金沢は晴マークです。昨年は伊勢自動車道でザァーッと大粒の雨が落ちましたが、今日はワイパーを全開することは無さそうです。昨年もそうでしたが、今回も台風が近ずいています。明後日は台風の影響で大雨となりそうです。そうそう行先は福井歴史博物館・吉崎御坊、泊りは片山津温泉です。明日は明達寺・金沢東別院・兼六園です。
岡崎インターを入り上郷でトイレ休憩。名神・北陸道とバスは走ります。福井北インターを出ます。福井県立歴史博物館到着です。玄関を入りますと正面左に懐かしのマツダのキャロルがあります。福井地震のビデオを約20分見ます。
福井北インター近くのレストランで昼食です。蕎麦、刺身、天ぷらと大盛ですよね。
昼食後、お楽しみのお土産をゲットですよ。
午後1時30分頃、吉崎御坊到着です。観光客・参拝者が見当たりません。サミしくなりますよね。
吉崎東別院の階段で記念写真ですよ。
階段を上がり左手に吉崎東別院会館があります。副輪番さんのお迎えですよ。蓮如上人御影道中のビデオを見ます。副輪番さん元気がいいですよね。音のしないお布施をと笑いを誘い、釣られて皆さん気前よく賽銭箱へ。
加賀観光ホテル
明達寺本堂
蝋扇堂
・7月17日(水)
宴会の疲れがとれぬまま、バイキング(朝食)です。昨夜は皆さん大いに楽しんで見えましたよねぇ。
8時30分、加賀観光ホテルの見送りを受け白山市に向かいます。
9時過ぎ、バスを駐車場に停め、少し歩きますと明達寺に着きます。
本堂で暁烏敏のビデオを見ます。
よくわかりますよね。境内を散策、蝋扇堂は想像以上でしたよね。
暁烏敏が師と仰ぐ清沢満之の遺徳を偲び法隆寺の夢殿を模したとのこと。金沢金箔工館、金沢東別院により、兼六園で昼食。お日様が照って一番暑い時間です。木陰でバスの時間を待ちます。かき氷、ラムネが売れています、私もソフトクリームを。ひるがの高原SAではザァーと大粒の雨が、バスに戻れません。親切な門徒さん、傘を持ってお迎えに。感謝感謝ですよね。
(報告 牧野敏夫)
金箔つきソフトクリーム
金沢東別院本堂
金沢真宗会館
兼六亭昼食処
難解ですよね。
明達寺本堂内の掲示板
帰りのバス車中にて、廟堂・廟墓の話で盛り上がりました。「確か写真を撮られたと思うが」ということで探しました。上山奉仕解散式の質疑タイムでのことですね。
廟堂・・おはかしょ
(上山奉仕解散式にて)
廟・・魂(コン)・・精神・生き様
墓・・・魄(パク)
(上山奉仕解散式にて)
第九組夏期講習
会場:源徳寺
8月23日(金) 講師 山内小夜子氏
8月24日(土) 講師 百々海 真 氏
第九組報恩講・門徒会研修
会場:了淳寺
講師 第15組随厳寺住職 安藤誠也氏
春の法要参拝 第九組良興寺
4月1日 7:00に小牧グランドを31名を載せて黄色い大型バスの出発です。今日は毎年執り行われております東本願寺春の法要に出かけます。ちょっと怪しい雲が気になります。傘りたたみ傘を忍ばせての参拝です。3月17日に開通したばかりの新名神(新四日市ー亀山西)を通ります。新名神効果で行きも帰りも混雑することなくスムーズに通り抜けました。効果てき面ですよね。10:00少し前に宇治平等院到着です。今にも雨粒が落ちそう。南門を抜け散策です。櫻が平等院を引き立てます。ミュージアム鳳翔館を出ますとザーッと大粒の雨です。抹茶を味わいながら雨宿りですよ。11:30川沿いの喜撰茶屋でお待ちかねの昼食タイムです。外は冷え冷えとします。
折角の世界遺産ですがこの冷たい雨では散策はみなさん遠慮がちですよね。12:30 バスに乗込み、東本願寺に向かいます。
13:00 御影堂門前にバスは到着します。御影堂を背面に記念写真を撮ります。御影堂本堂内に入ります。但馬宗務総長の挨拶が始まります。続いて親鸞聖人御誕生会記念講演です。講師は楠信生氏、講題は「人間に生まるる事」。「人間に生まるる事、大きなるよろこびなり」これは、源信僧都の作とされる「横川法語」の中の言葉ですと紹介があります。
14:00 音楽法要の始まりです。学生さんも本堂に向かって右側に見えます。エレクトーン、打楽器のティンパニの音が本堂内を響かせます。次第は左下の赤枠内を参照してくださいね。「入堂・讃歌・・・三帰依(パーリ文)・・・念仏讃・・恩徳讃・・・」。第九組の相続講でいつも唱和する三帰依(パーリ文)が出てきましたねぇ。表白は能慈院鍵役が務められました。
周りを見渡しますとほぼ満堂です。黄色タスキ(三重教区)、白色タスキ(大垣教区)、桃色タスキ(富山高岡教区)が目立ちます。
15:30 御影堂門前に集合しバスに乗込みます。井筒八つ橋本店に立ち寄りおみやげをゲットします。店内はお客さんでごった返しています。駐車場もバスが独占状態です。湾岸長島パーキングに立ち寄り小牧グランドへ、午後7時キッカリ到着です。
(報告 牧野敏夫)
※ここで吉崎御坊を紹介しますね。(WikipediaHPより)
・別院の建立
延享3年(1746年)に西別院(本願寺派)が山下道場のあった場所に建立され、翌年の延享4年(1747年)には東別院(大谷派)が吉崎山のふもとに建立される。
・寺院・諸施設の現況
御坊跡に向う階段の西側に浄土真宗本願寺派の別院が、東側に真宗大谷派の別院が置かれる。ともに「吉崎別院」と称するため、本願寺派の別院を「西御坊」・「(吉崎)西別院」、大谷派の別院を「東御坊」・「(吉崎)東別院」と通称される。また、「吉崎寺」(浄土真宗本願寺派)・「吉崎御坊願慶寺」(真宗大谷派)などの寺院、一般財団法人 本願寺文化興隆財団(旧称・本願寺維持財団。浄土真宗大谷本願寺派)が運営する「吉崎御坊 蓮如上人記念館」がある。
・吉崎山(御山)とは、北・西・南の三方を北潟湖に囲まれた天然の要害で、海抜33m程、面積約2万平方メートルの小高い丘である。この山の頂に吉崎御坊があった。1975年には国の史跡に指定[1]され、公園として整備されている。現在は東西両派共有の地である。
・蓮如上人御影道中
京都東本願寺から吉崎御坊まで門徒が徒歩で蓮如の御影(ごえい)の入った輿を運び、蓮如の吉崎下向を再現する。4月17日に京都を出発し、琵琶湖沿岸の蓮如ゆかりの地を通り、22日夜、御坊に到着し、本願寺吉崎両別院で法要が営まれる。
3、夏期講習会
8月23日(金)~24日(土)
会所 源徳寺
講師未定
4、相続講・同朋総会
9月12日(木)会所 妙隆寺
5、門徒会総会・一日研修
9月17日(火)
参拝場所候補地
・西照寺 島田市金谷町
・蓮生寺 藤枝市本町
※ここで蓮生寺を紹介しますね。
平家物語の熊谷次郎直実にゆかりのある寺(藤枝市観光ガイドより)
建久7年(1196)建立
浄土真宗大谷派
源氏の武将「熊谷直実」にゆかりのある蓮生寺は、山号を「熊谷山」と言います。
熊谷直実は、源平一ノ谷の戦いで平敦盛を討取りますが戰の無常を感じ、出家し蓮生坊と名乗ります。
その蓮生坊と地元の福井長者との説話が残る由緒あるお寺です。
蓮生坊は法然上人の弟子であったので当初は浄土宗の寺でしたが、後に親鸞聖人の影響を受け、この地域では唯一の浄土真宗の寺院となりました。
江戸時代には駿河国田中藩本多家の菩提寺として優遇を受け、19基の本多家の墓石や家臣の墓があります。
本堂は明治37年の大火で焼失しましたが、大正2年に付近の良材を使い再建されました。
この大火にも負けず、樹齢700年といわれるイブキの木は藤枝市指定文化財となっています。
※西照寺は門徒会だより第43号で紹介された小谷明榮寺住職の西照寺を訪れ対面した石碑があるお寺です。石碑に刻まれている「オネガイダカラスグキテオクレヨ」を見学します。
6、第九組報恩講・門徒会研修
11月12日(火)会所 了淳寺
講師 未定
(報告 牧野敏夫)
・昨年5月、赤羽ブロック世話方研修で桑名別院近くの西恩寺を訪れましたですよね。そのときの池田勇諦先生の強烈なお話が甦ります。
「一にも二にも仏法の味を食べることです。」
「食べた味を告白なさる。これ以外無いんですわ。」
「お寺の世話方の仕事は仏法を食べること。その味を告白なさればいいんです。それだけです。」
・池田先生は帰敬式の意味について、こう仰ゃって見えます。
「帰敬式を受けて法名をいただくのは、亡くなってからと思われがちです。けれども本来、帰敬式は、仏陀、お釈迦さまの弟子になるという儀式だということ。したがって、生きているからこそ、人間としての生き方を仏陀の教えに問い学んでいこうとする出発式が帰敬式ということです。
帰敬式には、髪を下ろすことをかたどった剃刀の儀があります。これは私たちの欲望追求に明け暮れた、あたかも根なし草のような生活を転換するという意味があり、仏法をよりどころとした、地に足が着いた生き方をするものとなる、まさに人生の第二の誕生を意味します。私たちの生き方を問う帰敬式、これが一番基本のことだと思います。 」 (同朋新聞2006年7月号より)
■ 次期門首
大谷暢裕鍵役が
ご来院 ■
平成31年4月11日、赤羽別院の帰敬式・報徳会に次期門首大谷暢裕鍵役がご来院されます。
(写真は2018年3月8日 三河別院で執り行われた次期門首大谷暢裕鍵役による帰敬式の様子です)
すべての門徒会員さま、この機会にぜひ帰敬式を受式し、仏弟子としての歩みを始めましょう。
(報告 牧野敏夫)
真宗同朋会運動(しんしゅうどうぼうかい)の実践課題として1996年に「帰敬式実践運動」が生まれ、門徒の方々に帰敬式の受式を呼びかけてまいりました。帰敬式実践運動は、お寺が広く社会に開放され、住職と門徒が共に語り合い、お寺と門徒の本来的な関係をつくり、「御同朋(おんどうほう)」としての念仏の僧伽(サンガ)が見出されていく機縁となることを目指してこれまで取り組んでいます。お一人お一人が帰敬式を受式いただき、「こ本尊(お内仏)」を中心とした念仏申す生活の中で、お手次ぎのお寺の住職と語り合うことをとおして、あらゆる人びとを御同朋御同行として敬われた宗祖親鸞聖人の御遠忌をお迎えしたいものです。
(同朋新聞2006年7月号より)
Q 仏弟子って何ですか?
A 仏さまの教え(南無阿弥陀仏)を依りどころとして生きる者となることです。その仏弟子となる儀式が帰敬式です。
自分中心の生き方からご本尊=南無阿弥陀仏を中心とする生活の歩みが始まることですね。
Q 帰敬式はどういうことをするの? A 帰敬式は、昔から「おかみそり」とか「おこうぞり」という名前でも呼ばれていますが、こ本尊の前で「三帰依文(さんきえもん)」を唱和し、執行者からおかみそり(剃刀)が三度、頭にあてられます。
おかみそりは、実際には髪を剃ることはありませんが、髪をおろすことをかたどった儀式なんです。
Q 三帰依文って何ですか?
A 三帰依文は、お釈迦さまが教えてくださった「法」と、法に目覚めた「仏」と、その仏の教えられる法を依りどころとする人の集まり(=「僧」)の三つを「三宝」といい、そのことを大切な宝ものとして生きていきますと、こ本尊の前で確かめるものです。
Q 「髪をおろす」ってどういうこと?
A お聖教の中で「勝他(しょうた)・利養(りよう)・名聞(みょうもん)の三つのもとどり、髪をそりすてる」ということが伝えられています。人を軽んじ、財産や名誉にこだわる私たちに、仏さまの教えを依りどころとして生きる者となることを教えておられます。
Q 受式後は、どんな生活をしたらいいの?
A 南無阿弥陀仏を中心とする生活を歩み始める誓いを立てたわけですから、まず食前・食後のことばを唱和することから始めてはいかがでしょう。お念仏を称えて「いただきます」「こちそうさま」ということは、大切なことです。
また、こ本尊を安置する「お内仏」の前に身をおくことが大切です。帰依三宝のうち、仏さまに帰依するということは、こ家庭のお内仏を給仕し、朝タに「正信偈」のお勤めをすることに始まります。すぐにお勤めができなくても、あるいはいそがしくても、せめて一日に一度はお内仏に向かっでお念仏申すことが大切です。
また、聞法の場への参加、お手次ぎのお寺の報恩講へのお参りをしたいものですね。法に帰依するとは、仏法聴聞につきます。ですから、月に一度はお寺の集まりへ、年に一度は本山(真宗本廟)へといわれますが、できるかぎり足を運び、法話を聞く場、語り合いの場に参加したいものです。
Q 法名はどうやってつけていただくの?
A 「法名」には、本山で選定された法名とお手次ぎのお寺の住職につけていただく法名があります。帰敬式を受けようとされる際には、事前に住職にこ相談ください。
Q 親鸞聖人も仏弟子になられたの?A 親鸞聖人は9歳の時、青蓮院(しょうれんいん)の慈鎮(じちん)和尚のもとで出家得度されたと伝えられていますが、聖人自らが三宝に帰依して生きる身と決定(けつじょう)されたのは、29歳の時で法然上人との出会いによるものでした。聖人はその回心を「建仁辛(けんにんかのと)の酉の暦(とりのれき)、雑行を棄てて本願に帰す」と語られています。 以来、聖人の教えを受けたお弟子をはじめ、多くの人びとが仏さまの本願の教えに出遇い、三宝に帰依して生きられました。それが「おかみそり」といわれ伝えられてきました。「おかみそり」はーハ七六年に「帰敬式(ききょうしき)」と名が改められました。
Q それでは帰敬式はどこで受けることができるの?
A 帰敬式は、本山(真宗本廟)で受式できます。基本的に毎日、午前と午後にそれぞれ一度ずつ行われます。
また、全国の別院やお手次ぎのお寺で受式することができます。別院では報恩講等の大きな法要の際に、門首(もんしゅ)・鍵役(かぎやく)による帰敬式が執り行われることがありますので、お手次ぎのお寺や別院・教務所にお尋ねください。また、お手次ぎのお寺で受式を希望される場合には、住職が執行者となりますので、まず住職にこ相談ください。
Q 法名って何ですか?
A 私たちの名前は、両親の願いがかけられて名づけられたものですね。一方、帰敬式を受けると「釋(しゃく)」の字が冠せられた二字の法名を賜(たまわ)ります。 これは仏さまから願いがかけられた名前といってもいいでしょう。 仏さまの願いを本願といいますが、その本願に出遇い、三宝に帰依して生きるものとなるという名告りです。
Q 法名とは亡くなった時につけていただく名前ではないのでしょうか?
A 法名は、お釈迦さまの教えを聞いて生きる者としての名告りですから、亡くなってからの名前ではありません。
私たちは大切な方が亡くなられると、葬儀や法事を勤めます。そしてそれらは当然「法名」で行われます。また、各こ家庭ではお内仏に亡くなった人の法名をおかけしますので、誤解されがちのようです。
私たちは、葬儀や法事を「死者供養」「先祖供養」という意味で勤めがちなようです。しかし、亡き人への供養だけが、本当に亡き人を大事にし、亡き人の生涯を尊んでいくことになるのでしょうか。残されたものの本当のつとめはどのようなものなのでしょうか。そのことを私たちは考えていきたいものです。
Q 帰敬式を受ける時に気をつけることは?
A 念珠は必ず持参してください。また、帰敬式で用いる略肩衣(りゃくかたぎぬ)と勤行本は、受式される皆さまにお渡しします。
略肩衣は、仏さまにお参りするときに、肩にかけます。帰敬式では、決められた「略肩衣」をかけて受式していただきます。受式後は、お寺やお内仏にお参りするときに着用してください。
(同朋新聞2006年7月号より)
(報告 牧野敏夫)
・下の記事は平成22(2010)年に大谷暢顕御門首をお迎えして赤羽別院で行われた報恩講・宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌お待ち受け法要です。107名の御門徒さんが帰敬式をお受けになられました。
・この時、私は何も知らずに過ごしていました。
・2011年(平成23年)の上旬頃、近くに住む福泉寺の世話方Kさんから「私は年なので世話方を変わって貰えんか」と私の不在中に、お話がありました。
・2012年1月の福泉寺初寄合で桑畑4班の世話方就任、何もわからずに3月10日、第九組組門徒会員を就任しました。
・2013年に赤羽別院にて帰敬式を受式し法名をいただきました。
・2015年、福泉寺住職が組長ということで自動的に門徒会長の割当があり先輩門徒会員さんが辞退されたので私にということでお引き受けをしました。
・実はこの時まで、門徒会の組織をよく知らずに過ごしていました。 年1回の門徒研修及び門徒研修旅行に参加していましたが門徒会の上部組織のことは全く眼中にありませんでした。門徒会長になって初めて岡崎教務所を知り、門徒会長になると自動的に教区門徒会員になることも、またそういう組織があることも予想もしていませんでした。また、赤羽別院院議会議員も門徒会長が勤めますよ。
・門徒会の行事及び門徒会長が何をしているかを門徒会員全員に知って頂くことが大事だ又、知っていただくには「門徒会だより」を発行するのが一番良いかなと思って始めましたわけです。月1回の発行を目標にし今回で第49号です。
・昨年7月、赤羽地域教化センター広報部のお手伝いをすることになりました。広報部に赤羽御坊新聞創刊号から現在号まで揃っていないので、あちこち探しましたが中々見つかりませんでした。が多くの方の協力でやっと揃えることができ、ホームページで公開することができました。是非ダウンロードしてご覧ください。この第25号の記事もその一つです。
次の記事は第九組のご遠忌お待ち受け法要です。
・今年の4月11日、赤羽別院に門首後継者大谷暢裕鍵役をお迎えし帰敬式・報徳会が行われます。まだ受式されてみえない門徒会員様には「帰敬式」のご案内が届けられますので是非とも帰敬式を受式されるよう願います。ここで大谷暢裕鍵役を紹介しますね
(東本願寺ホームページより紹介)
2014年4月30日
継承審議会において門首後継者に大谷暢裕鍵役が選定されました
4月30日、継承審議会が招集され、大谷暢裕(ちょうゆう)鍵役・開教司教が門首後継者に選定されました。同氏は、大谷光暢先門首の弟・故大谷暢慶(ちょうきょう)氏(能明院)の長男であり、大谷暢顯門首のいとこに当たります。
2011年に鍵役及び開教司教※に就任。以来、海外開教区においては開教司教として別院住職たる門首の補佐を、また真宗本廟においては鍵役として報恩講等の法要に出仕するなどその任に当たっておられます。
≪大谷暢裕氏コメント≫
継承審議会において私が門首後継者に選定されたとのお知らせをいただき、慎んでお受けいたしました。責任の重さに身の引き締まる思いであります。日本とは文化も習慣も異なる南米育ちの私に、そのような重責を担うことができるのかという不安はございますが、あらためて真宗の教えが、民族も国境も越え人類平等の救いを全うする普遍の大道であったことを思い知らされております。門首後継者としての覚悟をもって聞法研鑽に励みつつ、引き続き、鍵役・開教司教として門首の補佐に務めてまいります。
≪略歴≫
1951年8月17日生まれ
1952年 父親・大谷暢慶氏の南米開教区開教使発令に伴い渡伯
1976年 サンパウロ大学物理学部学士課程卒業
1979年 航空技術研究所勤務
1985年 サンパウロ大学にて物理学博士号取得
1992年4月7日 得度
2011年11月22日 鍵役・開教司教就任
院号法名 能慈院釋修明
※鍵役
真宗本廟崇敬条例の定めにより、門首が管守する真宗本廟の宗祖親鸞聖人の真影を安置する御厨子の御鑰(かぎ)の管理にあたる。
内事僧籍簿に登載されている者から宗務総長が任命し、真宗本廟の両堂に奉仕し、儀式について門首を補佐する。
※開教司教
開教条例の定めにより、開教区の別院住職(門首)を補佐する役職。鍵役の中から宗務総長が任命し、開教区の僧侶及び門徒の代表として同朋とともに真宗の教法を聞信する。
※赤羽御坊新聞ダウンロード
赤羽地域教化センター広報部ホームページ
https://akabanebetuinn.jimdo.com/
又は
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・昨年12月5日、岡崎教区御依頼割当審議会委員を委嘱され、任期は3年です。岡崎教区門徒会から田中会長を始め常任委員全員で9名、教区会参事会員から10名の構成です。
副委員長に田中弘教区門徒会長が互選されました。
諮問事項は次の通りです。
「2019年度岡崎教区経常費御依頼割当基準の策定」
「宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃法要懇志金御依頼割当基準の策定」
私を始め門徒会員は初めての審議会で戸惑います。ことがことだけに発言がためらわれます。次回の割当審議会は1月25日です。先輩方のご苦労が肩にのしかかってきます。
南無阿弥陀仏 合掌
(報告 牧野敏夫)
第九組夏期講習会のあしあと
01 大正15年(1926)
小島・安楽寺 加藤智学
02 昭和02年07月05日~07日
富好・説教所 上杉文秀
佛心凡心一体義
03 昭和03年07月12日~14日
家武・浄賢寺 上杉文秀
04 昭和04年07月04日~06日
上横須賀・源徳寺 英秀雲
05 昭和05年07月1O日~l2日
江原・福浄寺 安藤州一
06 昭和06年07月09日~ll日
富好・説教所 安井廣度
尊号真像銘文
07 昭和07年
羽角・専念寺 稲葉円成
08 昭和08年09月09日~10日
富好・説教所 近藤純悟
09 昭和09年
室・順成寺 柏原祐義
10 昭和11年07月13日~14日
家武・円満寺 横井䝨隋
11 昭和12年09月05日~07日
木田・正向寺 竹中慧照
新興宗教批判
12 昭和13年09月03日~04日
浅井・正光寺 稲葉道意
13 昭和l5年08月22日~23日
駒場・隋縁寺 河野法雲
二種深信
14 昭和16年07月19日~20日
幡豆・祐正寺 豅含雄
臣子の道
15 昭和17年
浅井・宿縁寺 柏原祐義
16 昭和l8年08月04日~05日
吉田・正覚寺 暁烏敏
十七條憲法を奉戴して
一戦後復興一
01 昭和24年09月06日~07日
東幡豆・福泉寺 岩見護
02 昭和25年08月20日~21日
富田・願専寺 常本憲雄
真宗教化の中心問題
03 昭和26年08月24日~25日
吉田・正覚寺 英秀雲
真実の一道
04 昭和27年08月24日~25日
西幡豆・祐正寺 正親含英
浄土の大菩提心
05 昭和28年09月04日~05日
木田・正向寺 名畑應順
念仏のこころ
06 昭和29年09月01日~02日
小山田・妙隆寺 安井廣度
行信論管見
07 昭和30年08月23日~24日
鳥羽・通因寺 上杉慧岳
機法一体論
08 昭和31年08月28日~29日
東城・良興寺 藤原正円
苦教真実
09 昭和32年08月30日~31日
乙川・了淳寺 舟橋一哉
業の話、インド佛跡巡拝して
l0 昭和33年08月l8日~19日
東幡豆・福泉寺 佐々木蓮麿
命佛の救済
11 昭和34年08月24日~25日
富田・願専寺 藤島達朗
親鸞聖人とその家庭
12 昭和35年08月01目~02日
西幡豆・祐正寺 稲葉秀賢
疑惑の罪科
13 昭和36年08月08日~l0日
吉田・正覚寺 仲野良俊・舟橋一哉
14 昭和37年08月06日~07日
木田・正向寺 仲野良俊
日常生活と精神生活
15 昭和38年08月21日~22日
小山田・妙隆寺 横超慧日
阿弥陀経講義
16 昭和39年08月02日~03日
鳥羽・通因寺 松原祐善
本願成就の道
17 昭和40年08月25日~26日
東城・良興寺 高原覚正
本願の名号
18 昭和41年08月24日~25日
吉田・正覚寺 佐々木教悟
信と智について
19 昭和42年08月25日~26日
東幡豆・福泉寺 藤原幸章
柔の道
20 昭和43年08月21日~22日
横須賀・源徳寺 藤原幸章
摂取不捨の利益
21 昭和44年08月23日~24日
吉田・正覚寺 平川 彰
生活の中の佛教
22 昭和45年08月21日~22日
西幡豆・祐正寺 大河内了悟
教行信証における
23 昭和46年08月30日~31日
富田・願専寺 仲野良俊
真実教
24 昭和47年08月21日~22日
小山田・妙隆寺 仲野良俊
形なきこころ
25 昭和48年08月29日~30日
木田・正向寺 藤島達郎
本願寺の法統と近代について
26 昭和49年08月17日~18日
鳥羽・通因寺 高光一也
樹心佛地
27 昭和50年08月25日~26日
乙川・了淳寺 柘植闡英
自立の法
28 昭和51年08月23日~24日
東幡豆・福泉寺 細川行信
「末灯鈔」について
29 昭和52年08月23日~24日
東城・良興寺 伊東慧明
歎異鈔管見
30 昭和53年08月25日~26日
吉田・正覚寺 柏原祐泉
親鸞聖人の社会観、死なずに参る
31 昭和54年08月24日~25日
横須賀・源徳寺 舟橋一哉
釈尊と親鸞聖人
32 昭和55年08月21日~22日
西幡豆・祐正寺 池田勇諦
心を安(お) く
33 昭和56年08月25日~26日
富田・願専寺 松扉哲雄
光の中を生きる ―浄土真宗―
34 昭和57年08月27日~28日
小山田・妙隆寺 高松信英
心の恢復
35 昭和58年08月22日~23日
鳥羽・通因寺 東井義雄
破闇の光
36 昭和59年08月20日~21日
木田・正向寺 川瀬和敬
和讃に聞く
37 昭和60年08月20日~21日
吉田・正覚寺 坂東性純
わが弥陀はみ名もして物を攝したもう
38 昭和61年08月26日~27日
東幡豆・福泉寺 細川行信
親鸞聖人の東国伝道
39 昭和62年08月21日~22日
東城・良興寺 和田稠
群萠の心
40 昭和63年08月23日~24日
乙川・了淳寺 野田風雪
凡人の仏道 ―正像末和讃に聞く―
41 平成元年08月21日~22日
横須賀・源徳寺 宇野正一
「生命(いのち)」「佛(ほとけ)」
42 平成02年08月22日~23日
西幡豆・祐正寺
22日 小西輝夫
現代人の心とからだ
23日 平野修
この世に生きんと欲う
43 平成03年08月18日~19日
富田・願専寺
18日 丹羽是
念佛聴診器
19日 田代俊孝
親鸞に聞く
44 平成04年08月23日~24日
小山田・妙隆寺
23日 早川一光
医者とお坊さん
24日 雲井昭善
生・老・病・死
45 平成05年08月22日~23日
鳥羽・通因寺
22日 小西輝夫
ストレス時代を生きる・働き盛りのメンタルヘルス
23日 中本昌年
自己へ・そして自己を超えて
46 平成06年88月20日~21日
木田・正向寺
20日 早島鏡正
仏法には 無我と仰せられ候
21日 亀井鑛
たのめ たすかる
47 平成07年08月26日~27日
吉田・正覚寺
26日 宮城顗
はかりなき いのち
27日 外山滋比古
ことば と こころ
48 平成08年08月24日~25日
東幡豆・福泉寺
24日 大村英昭
蓮如上人と一休宗純
25日 片岡了
蓮如上人の御文について
49 平成09年08月23日~24日
東城・良興寺
23日 沙加戸弘
エピソードで綴る蓮如上人の生涯
24日 加藤智見
蓮如上人から学ぶこと
50 平成10年08月22日~23日
乙川・了淳寺
22日 安富信哉
歎異抄が問いかけるもの
23日 佐藤正英
歎異抄とはとのような書物か
51 平成ll年08月21日~22日
横須賀・源徳寺
21日 武田鏡村
親鸞聖人と「悪人正機」―その歴史と信仰の背景―
22日 板東性純
問いをもって生きる
52 平成12年08月19日~20日
西幡豆・祐正寺
19日 広瀬惺
『歎異抄』とその世界
20日 今井雅晴
『歎異抄』と唯円 ―門徒の生涯と信仰―
53 平成13年08月l8日~19日
富田・願専寺
18日 小野蓮明
唯円が出遇った親鸞聖人 ―歎異抄における問答―
19日 中本昌年
世に生きる力
54 平成14年08月17日~18日
小山田・妙隆寺
17日 小野蓮明
唯円が出遇った親鸞聖人 ―歎異抄における問答―
18日 尾畑文正
《退一歩》の勇気 ―景力の連鎖に思う―
55 平成l5年08月22日~23日
鳥羽・通因寺
22日 大須賀発蔵
歎異抄とカウンセリングの心
23日 小野蓮明
唯円が出遇った親鸞聖人 ―歎異抄における問答―
56 平成16年08月20日~21日
木田・正向寺
20日 山口仲美
猫は「寝む」と鳴いた ―日本語の話―
21日 小川一乗
後世を知る智者 ―ヒューマニズムの超克―
57 平成18年08月19日~20日
吉田・正覚寺
19日 正木晃
宮崎アニメから学ぶ日本人の心
20日 田代俊孝
韋提希の生と死
58 平成18年08月25日~26日
東幡豆・福泉寺
25日 寺川俊昭
往生浄土を巡って(1)
26日 寺川俊昭
往生浄土を巡って(2)
59 平成19年08月24日~25日
東城・良興寺
24日 矢崎節夫
あなたはあなたでいいの ―みすずさんのうれしいまなざし―
25日 松田正典
真実のいのちの伝承 ―教育の現場から―
60 平成20年08月22日~23日
乙川・了淳寺
22日 結城思聞
①『いのち・生命・無量』②朗読による法話『告知』
23日 伊藤 元
真宗門徒の生活(しるし)
61 平成21年08月21日~22日
横須賀・源徳寺
21日 藤嶽明信
佛願に聞く
22日 川村妙慶
私が私であってよかったと思える人生
62 平成22年08月20日~21日
西幡豆・祐正寺
20日 阿部泰郎
聖徳太子絵博と絵解きの世界
21日 松塚豊茂
現代と浄土真宗
63 平成23年08月19日~20日
富田・願専寺
19日 田畑正久
仏教と医療の協カ―健康で長生き―
20日 沙加戸弘
『親鸞聖人伝絵』に学ぶ ―その成立と聖人像―
64 平成24年08月24日~25日
小山田・妙隆寺
24日 沙加戸弘
親鸞聖人『御絵伝』を読み解く
25日 和合亮一
福島に生きる、福島に生きる
65 平成25年08月23日~24日
鳥羽・通因寺
23日 吉元信行
老病死を活きる
24日 大山勇樹
人生はどんな形にだって変えられる ―闇から光へ―
66 平成26年08月22日~23日
木田・正向寺
22日 釈徹宗
午前 浄土真宗の要
午後 落語のなかの浄土真宗
23日 日野賢之
『御文』に学ぶ―迷信ということ―
67 平成27年08月21日~22日
吉田・正覚寺
21日 鷹巣 純
日本人の地獄と絵解き
22日 戸次公正
あらゆる衆生と共に生きる
68 平成28年08月26日~27日
東幡豆・福泉寺
26日 水島見一
同朋会運動の精神
27日 祖父江佳乃
今を生きる
―親鸞聖人御一代記より―
相続講 闡如上人御消息
真宗大谷派岡崎教区第九組では毎月12日に各寺院持ち回りで相続講を開いています。
その内で毎回最後に、闡如上人御消息(お手紙)を拝読されます。その内容が気になりますよね。全文を紹介します。
闡如(せんにょ)上人御消息(ごしょうそく)
夫(それ) 真宗の肝要は他力一念の信心にあり
されば男女貴賤(きせん)を簡(と)はず宿善の機あって善智識のことばの下に帰命の一念おこりぬればすなわち韞攝取の光益にあづけしたもうなり その後念仏もうすは初め発起せる一念の信に相続せられて本願をおもうこころの断(た)えされば 憶念の心つねにして佛恩報するおもひありというなり されば決定(けつじょう)の信といふも この念相続にありと知られたり
抑(そもそも) 相続講は明治十八年厳如上人の創(はじ)めて設けたもう所にして爾来(じらい)六十餘(よ)年の久しきにおよべり その間外に宗勢の伸張を遂げ 内に教学の興隆を致せり かくて法義相続と本廟護持との運営にはつねに相続講の伴へること影と形とのごとくなり これ固より佛祖の冥祐に由るとはいへども諸国門末の深厚なる念力に俟(ま)つもの多大なり 然るに時遷(うつ)り歳改(としあらた)まりて世態の転変常なきのみならず戦後の日本は人心荒廃(こうはい)して邪教心を惑(まど)わしめ人々その帰する所を失わんとして邦家の前途測るべかざるものあり されば流れを真宗に汲めるもの 今の時に当り深く省みてさらに法義相続に思いを寄せ歓喜報恩の心を新にせば平和国家の建設も亦 難(かた)からず本廟の護持もおのずから達成せらるべし これ予が夙夜(しゃくや)に念願して忘るる能(あた)わざるところあり
惟(おも)うに宗祖聖人が愚禿と稱し身を田夫野叟(でんぶやそう)にひとしうたまへるも在家無智の人人と膝を交(まじ)えて語らんが為に外(ほか)ならず
中興上人また頻(しき)りに談合を奨(すす)めたまい世世の先徳この精神を相承血脈(そうじょうけつみゃく)せられたるにより真宗これによって興(おこ)り念佛これよって盛んなることをえたり されば当流にその名をかけし面々を初め一般有縁の人人にいたるまでも必ずこの講に加わり心を新たにして聞法の席に列し互いに信心の有無を沙汰し歓喜讃仰(さんごう)の生活に入り報土得生の素懐を完からしむべし
しかれば此際(このさい)相続講の機能を更新せしめ会合のあるところ必ず信心にうとうとしからす
聞法と談合とにより法悦を深め日ごろの誤(あやまり)をひるがへずのみならず互いに心を練り徳を磨いて新時代に対応せしむべきなり
わけて婦人の身はその温柔(おんじゅう)貞淑(ていしゅく)の徳を養い社会平和の中心となられたし かくて家庭に佛種の絶えずして家家永く相続せられるのみならず村にも町にも佛心の薫化するところ自(おのずか)ら諍(いさか)いなかるべし されば宗祖聖人が教行信証六軸の最後を結ぶに
前(さき)に生れむ者は後(のち)を導き
後に生まれむ者(ひと)は前を訪(とぶ)らひ
連続無窮(むぐう)にして願わくば
休止せざらしめん
という語を以てせられしも亦 この相続講の本旨に外(ほか)ならざるべし 冀(こいねが)わくはこの講の更新に縁(よ)って真実の佛法を興隆し一味の信海に帰入せしめん 若し多数の講員力を協(あわ)せて事に当らば以て山をも抜(ぬ)くべく 海をも覆(くつがえ)すべし されば誰の人も大悲の願心に徹し自利々他をして連続無窮(むぐう)ならしめんことこれ予が門末一同の誠意に愬(うった)え切(せつ)に念願して息(や)まざるところなり
あなかしこ あなかしこ
昭和廿五年八月六日
釈闡如