赤羽ブロック世話方研修(令和元年度)


・5月7日(火)
 北海道と沖縄は雨模様、東京も雷雨があるとの天気予報です。昨年の研修、一身田寺内町は傘をさしての散策でしたね。今日はバッチリ晴です。山門は朝日を浴びて私たちの見送りをしていますよ。
 今日は恒例となった赤羽ブロック世話方会の研修です。行先は橿原市と聞いていますが良く判りませんでした。バスに乗り本日の研修プランをいただく迄、年号が令和に変わったので橿原神宮及び神武天皇陵と思っていましたら違っていました。
 行程は橿原市内の今井町町並み散策・正念寺・金台寺です。
 6:50 少し予定より早いですが赤羽別院16名を載せて大型黄色バスは西尾市文化会館南広場に向かいます。14名を載せまた、碧南海浜水族館前で8名です。本日の研修参加者は38名です。第九組からは世話方会員4名、三浦輪番、教化センター2名です。(計7名)
 阿久比インター、伊勢湾岸道路を通り名阪道路に入ります。亀山SAで最初の休憩です。
 9:15 亀山から橿原に一直線に向かいます。10:35 今井町で下車.
 今井町町並み見学の二人の案内人がお待ちです。観光マップをいただき広場まで少し歩きます。
 ガイドさんから概要の説明があり、今西家を見学します。中は薄暗く煤の跡が古さを感じさせます。今西家は、惣年寄の筆頭で、領主、代官の町方支配の一翼を担い、自治権が委ねられていました。またつみびとを2階の窓の無い部屋に押し込め下から燻したとガイドさんの説明を聞きます。
 裏手に回り東に散策します。工事中の浄土真宗本願寺派称念寺の屋根が見えてきました。今井町は、称念寺の境内地として発達した「寺内町」です。建物は、江戸時代初期に再建された大規模な浄土真宗本堂です。とパンフにありますが、またまた修復工事です。ヘルメットをかぶり10名づつ本堂中を見学します。着工は平成22年4月、竣工予定は令和4年3月とのこと。総事業費は約20億円です。



 階段を少し上がりますとコンクリートカッターで切断中、道板の上を左右バランスをとり本堂内に入ります。

 本堂の外も内も作業員さんが働いて見えますご迷惑をおかけしごめんなさいね。
 称念寺住職今井慶子さんから丁寧な説明があります。
 称念寺を出て町並みを散策、河合家酒蔵に立ち寄りお酒を購入する方もみえますよ。

 昼食会場(たち花)に向かいます。玄関を入りくねくねと階段を上がり、食事部屋にたどり着きます。

 卓上に釜飯(筍、ワラビ?)お刺身、天ぷらと豪華ですよね。
 歩きます。どんどん歩きます。バスに乗るかと思ったら大間違いでした。さらに歩き左折し狭い通路を入りますとお寺の屋根が見えます。左手に浄土真宗本願寺派金台寺右手に国分寺です。

 金台寺は蓮如上人の弟子・了妙尼が開いたお寺です。


 真宗聖典 『蓮如上人御一代記聞書』七三条より


一 蓮如上人仰せられ候う。堺の日向屋は三十万貫を持ちたれども、死にたるが仏には成り候ふまじ。大和の了妙は帷一つをも着かね候へども、此の度、仏に成るべきよと、仰せられ候ふよしに候う。


 真宗宗歌を唱和します。
 金台寺住職は兼業ということで坊守さんから説明をいただきました。蓮如上人から下付された仏道や御杖と鉄鉢が伝えられたということです。境内には、安政6年に建立された了妙の供養碑が祀られています。
 バスに乗込み帰路一筋です。亀山SAに立寄り午後7時過ぎに赤羽別院到着です。お疲れさまでした。
   合掌
     (報告 牧野敏夫)


赤羽ブロック世話方研修(平成30年度)

・5月31日

 オッ、曇ってる。昼からかな。

 25分かかるので6時20分に出るのを5分早めに出ます、性格がここに出てきますよねぇ。黄色い大型バスがお待ちかねです。7時少し前に第1陣を載せて出発です。文化会館第2陣、臨海公園で第3陣、総勢44名です。海底トンネルを通り、大府SAでトイレ休憩。 今日は赤羽ブロック世話方会研修です。一昨年は長浜別院、昨年は高山別院、3回目となる今回は桑名別院・池田勇諦先生の西恩寺と国宝に指定されたばかりの高田派専修寺に向かいます。

 


 

 寺町通りの看板を見上げアーケード街を通ります。右手に曲がると別院の入り口が見えます。

 

 桑名別院本統寺は「桑名のご坊さん」と呼ばれ、開基は教如上人の娘さん長姫(9歳)ですと紹介があります。「空襲ですべての建物が灰燼と化しました。親鸞聖人銅像は残りましたが焼夷弾の火花を被り笠に穴が開いている」とお話しされました。

 

 銅像の前で記念のパチリ。穴の確認も、ありました!ありましたねぇ。これも証拠のパチリです。

 

  別院から20分で西恩寺です。住宅街を歩きます。朱色の塀が目だちます。

 

 

 総代さんの挨拶があります。卓上にお茶とお饅頭があります。感謝感謝です。

 

 池田先生の法話が始まります。

 

 先生は昭和9年生まれ、私と丁度一回り違いの戌年です。私、先生の年になったらどうなってるんでしょうかねぇ~とフト思います。生きているのかどうかもわからないのに。これも煩悩の現れですねぇ・・・屹度(きっと)。

 


 

 先生のお話を箇条書きで紹介しますね。

・一にも二にも仏法の味を食べることです。

・食べた味を告白なさる。これ以外無いんですわ。

・お寺の世話方の唯一の仕事は仏法を食べること。その味を告白なさればいいんです。それだけです。

・改まったら座談会にならんのです。私はザックバランに

・感想文の中に「わしは仕事を休んで三日間来たけれども何にもわからなんだ。けど、今度は母ちゃんを連れて、どうでも来たいと思う」こう書いてあった。

・小松教区のある法座で、質疑の時間にある総代さんが質問されたんです。私は総代さんにお聞きしたんです。「あなた、日頃お寺へよく来ておられたんですか」と。総代さんが「きとらん、きとらんのやけど、去年から総代にさせられたもんで、嫌でも応でも出て来んならんので、出て来ておるんです。そうすると、嫌でも応でも法話は聞かんならんで聞かせてもらっておるような、そんな有様ですわねぇ」とこう仰るんですねぇ。私は思わず言ったんです「あなた、よかったねぇ。あんたみたいな人は総代にでもせんことにはお寺へ来て仏法を聞くような人じゃないから、阿弥陀さんがあんたを総代にして引っ張り出して仏法を聞かせて下さっとるんやねぇ。いい御用をもらわれましたねぇ」って思わず言ったら。その方は真っ直ぐな方なんですねぇ。「はい。最近つくづくそれを感ずるようになりました。」と一言仰られて二度びっくりしたんですけど。

・なぜ、仏法を聞くことができないのか。

・ひとりひとりのご縁ということしかないわけですけども。あえて言葉にしたらね。自分自身の出会ったこと。まぁ人生経験ね。出会った人。出会ったことばが私の思いを超えて私を動かしてく。それだけです。聞こうと思うて聞けるもんじゃないですよね。自然法爾ということになるんでありますけども。(ここで先生から、ちょっと難しい言葉が出ましたねえ)

 言えばそれしか無いんだけど、だからこそ「どうして、聞く気にならんのか、聞きたくないのかなと。そのことをよくよく顕らかにするという手続きが大事だと思いますねぇ」・・・・・・・・。

 


 本堂を出ますとなんと!雨です。

 

 残念ながら傘はバスの中、仕方なく濡れて町中を歩きます。

 

 昼食は「魚城」さんです。2階に上がり、豪華なお洒落な料理がお待ちです。

 

 食前の言葉を唱和し、いただきます。 

 

 高速をバスはワイパーを動かし動かし走ります。駐車場から傘をさし、歩きます。

 


 真宗高田派本山専修寺です。 

 立派な唐門をくぐりますと真正面に如来堂があります。右手に御影堂(みえいどうと読みます、大谷派はごえいどう。なぜ、違うんですかねぇ) 

 蓮が行列よく、私たちをお迎えします。雨降りの中おとなしくあります。御影堂に入りますと若い多くの僧侶さんが本堂中央で説明をお受けの最中です。 

 傘をさして4班に分かれてガイドさんに案内されて一身田寺内町散策です。「いっしんでんじないちょう」と読みますとパンフにあります。 

 山門に集合し、駐車場に向かいます。まだまだ雨は降り続いています。

 

             (報告 牧野敏夫)