第九組門徒会長ブログ

真宗大谷派岡崎教区第九組で行われる行事や教化委員会での取組み等をいち早くお知らせします。


「真宗本廟(東本願寺)造営史」と「明治前期の大谷派教団」の紹介(相続講の始まりを調べました)

東本願寺発行

真宗本廟(東本願寺)造営史(本願を受け継ぐ人びと)

法蔵館発行

明治前期の大谷派教団

中西直樹著

2019-05-01
「真宗本廟(東本願寺)造営史」と「明治前期の大谷派教団」の紹介


「真宗本廟(東本願寺)造営史」の322頁に、4負債返済とその後の体制(1)相続講の設立の項に参考史料として『水谷壽「明治維新以降に於ける大谷派宗政の変遷」十』がよく出てきます。

※※※
4 負債返済とその後の体制
(1)相続講の設立
 明治十八(一八八五)年六月には『配紙』が廃刊されて、『本山報告』が寺務所文書科から発行されることとなった。再建の進捗状況などについては、『本山報告』で報じられるようになる。
 当時、東本願寺の負債総額は三〇〇万円に達しており、財政危機の極限状態にあった。参務の渥美契縁や桑門志道が、大蔵卿松方正義や外務卿井上馨に懸命に援助策を求め続けた結果、三井銀行総裁西邑虎四郎の紹介を受けた。三井銀行の社則上、直接的な援助はできなかったものの、なんとか神戸支店から三〇万円の貸付が実現された。東本願寺は十五万円を運用資金として現金で受け取るとともに、残り十五万円分は公債証書のかたちで抵当として三井銀行に預けて負債返済を進めた。この三〇万円償還のために、三井銀行に対して設立を約東したのが、同年十一月に組織された相続講である(水谷壽「明治維新以後に於ける大谷派宗政の変遷」一〇)。相続講は、財政再建と両堂再建を最大の目的としながら、三井銀行との協力による「冗費濫用」 の抑制もめざした。


水谷壽「明治維新以後に於ける大谷派宗政の変遷」の古書を古本屋、国会デジタルコレクションと探しましたが見つかりませんでした。ところが偶然、法蔵館刊行の「明治前期の大谷派教団」に史料として、水谷「明治維新以後に於ける大谷派宗政の変遷」(1)~(18[完])が150頁にわたって掲載されているではありませんか。
 史料『明治維新以降に於ける大谷派宗政の変遷(十)』に相続講設立についての詳細があります。  
※※※
 かくして此の参拾万円償還の方法ともして本山と三井との間に黙契せられたのが相続講であつた。
(即ち男子一口貮円以上女子一口壹円以上とし其の講金は即納漸納の二種とし漸納は二十ケ月を以て納めるとした)凡そ本山の窮乏せることは従来の放漫なる財政策によるものであるが、他面法義の不振にも依るものとしてここに法義の相続を策励し、兼ねては本廟の維持相続を助成せしむる為め明治十八年十一月二十九日御正忌御満座の当日大寝殿に於て御直命が有り相続講設立の御発示となつたのである。


 即納漸納とありますが分割払いですよね。女子一口壹円以上とありますが当時の壹円を現代の金額に直しますと凡そ2~3万円ぐらいだと思いますが現金収入となりますと大変だったと思いますよね。

(報告 牧野敏夫)


[ハンセン病問題学習会]の報告

雨森慶為師

プロジェクターを使用して講義

2018-10-17

 8時15分に家を出ます。天気は快晴です。

 9時05分に岡崎教務所到着です。

 玄関にある自販機で缶コーヒーを購入。

 1階大会議室で講義が行われます。

 今日は「ハンセン病問題学習会」です。少し緊張します。

 講義の内容は「真宗大谷派のハンセン病問題への取り組みについて」です。

 10:00

 真宗宗歌を唱います。

 意見交換会ということで「旃陀羅(せんだら)」について学びます。私たち門徒は、聞いたことがないよですねぇ。

 

 昭和40年、私は高校を出て名古屋に赴任。大学の校舎を借り上げて事務所として使われていました。長い廊下で共済会加入の業者さんが色々なものを販売していました。その中にカバン等を売っている方とお話をするようになり、ある時「皮ジャンパーはないの」とお聞きしたら「お店に来てくれればあるよ」と言われ、後日皮ジャンの購入にでかけました。皮製品を売るお店が並んでいました。そこで後から知ることになりました。

 

 11:00

 教務所近くの学生さんと一緒に、雨森慶為師の講義を受けます。雨森師は本山解放運動推進本部委員として活躍して見えます。

 ・真宗大谷派は隔離に強くかかわった。

 ・人間性を奪ってます。

 ・愁嘆場 こどもと母の対面

 ・国立療養所の紹介

 ・ハンセン病についての説明

 ・プロミン

 ・園内通用券

 ・優生保護法

 ・別名届

 ・収容所(回春尞)

 ・大谷派光明会

 ・1907年隔離政策の始まり

 ・大谷派は当初からかかわった

 ・竹内了温

 ネットで調べましたら

 ※ 1891-1968 大正-昭和時代の宗教家。

 明治24年12月20日生まれ。真宗大谷派宗務所にはいり,大正10年社会課の初代課長となる。15年融和事業団体真身会を創設。昭和6年ハンセン病患者救済運動団体光明会を創設し会長となる。戦後,21年全国部落代表者会議発起人会議長をつとめるなど,部落解放運動につくした。昭和43年1月15日死去。76歳。兵庫県出身。京都帝大卒。

とあります。

 ・小笠原登

 ・雨森師自身の体験

 

 最後に杉山教導から

  もういいかい

   まぁーだだよ

  (骨になっても帰れない)

 

 今日は学生さんと一緒の受講、引率の教授からお礼の言葉がありました。保育を目指す学生がお寺のこと、人権のことを学んで欲しいと願われていました。

 学生さんも一緒に「恩徳讃」です。

 

 12時05分に終了しました。

 午後からは、ボランティア「いきいきサロン」に出かけます。高齢者に集まってもらい、今日は体操と手品、お茶会ですよ。

 

(報告 牧野敏夫)