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正信偈斉唱
正信偈斉唱
夏の御文拝読
法話
2019-07-15(月)
小雨けぶる中、午後1時30分より赤羽別院にて「夏の御文」及び法話が執り行われました。
赤羽ブロック世話方会総会を兼ねての「夏の御文」です。ほぼ満席ですよ。
正信偈斉唱から始まり、厳かに「夏の御文第3通」の拝読が始まります。
夏の御文(なつのおふみ)ではなく、(げのおふみ)と読みます。 夏の御文は真宗の教えを再興された蓮如上人がお亡くなりになられる前年の明応7年(1498年)5月から6月にかけて書き遺された4通の『御文』を拝聴し、信心の大切さをいただきなおす仏事です。
第9組福泉寺若院木村斉氏です。約50分間の法話が始まります。「夏の御文第3通」の意味を問い直します。若さ溢れるお話しぶりがいいですよねぇ。
(報告 牧野敏夫)
三浦輪番挨拶
田中会長挨拶
続いて午後3時から赤羽ブロック世話方会総会が行われました。点呼が行われ40名の出席です。過去最高の出席です。
真宗宗歌を斉唱
三浦輪番挨拶
田中会長挨拶
議長選任(三浦輪番)
①事業報告
②会計報告
③年間行事計画
の審議が行われ全会一致で承認されました。
6月から9月までの清掃奉仕は落ち葉の量がとても多く掃除しきれないので奉仕員を増やしていただきたいと要望があり役員会で方法等について決まり次第寺院に報告しますとの回答。また、次回の研修会は「静岡別院」「豊橋別院」の希望が出ましたのでその方向で準備をしますと回答がありました。
(報告 牧野敏夫)
2019-07-11(木)
今川町の嚴西寺を訪問しました。住職の藤原先生は私が岡崎工業高校を昭和40年3月に卒業前にお世話になりました。忘れられないのは黒板に大きな字で藤原肇と書かれ、「はじめ」では無く「はじむ」と読みますと自己紹介がありました。今日お聞きしましたら教育勅語の「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ」から名をつけられたとのこと。今日は「岡崎市史研究」第8号に掲載されている「三河における真宗寺院の組について」の記事についてお伺いをしました。嚴西寺より江戸後期の寺院録が発見され、「三州浄土真宗諸寺院附」という史料です。この記事を執筆された遠山先生は藤原先生の教え子とのこと。またまた吃驚ですよね。いろいろなお話ができ時間はアッと過ぎてしまいました。貴重な資料をたくさんいただき感謝感謝感謝です。嘉永7年組割のスケッチ図と赤羽崇敬区寺院の組の変遷を表にしてみました。
間違いが所々あると思いますがお許しください。
(報告 牧野敏夫)
2019-06-13(木)
午後3時から赤羽別院院議会に出席しました。
冒頭、本堂内陣の雨漏りのお話が・・・。
ハクビシンだ!
いや雨漏りだ!
で議論が伯仲・・・。
・真宗宗歌斉唱
・出席の点呼が始まり、委任状の大さに拍子抜けも・・・。
・院議会成立の紹介がありました。
・議長の選任、議事録署名者2名の選出が行われ議長一任で決まりました。
・最初に院議会前に行われた常議会の報告がありました。
議案は
第1号 墓地管理礼金の変更
第2号 墓地規定の変更
第3号 2018年度経常会計決算書
第4号 2018年度特別会計決算書
第5号 2018年度積立金会計決算書
会計監査報告
第6号 2019年度経常会計予算(案)
第7号 2019年度特別会計予算(案)
全議案が拍手でもって承認されました。
・次期輪番選定の報告
三浦輪番の任期は9月10日、水野会計の任期は12月1日。
後任の内諾がありましたと報告がありました。
・永代供養墓についてのご相談がありました。
・恩徳讃斉唱
(報告 牧野敏夫)
2019-06-06(木) 午後7時~
最終チェックです。一番神経をすり減らす会議ですよ。
第1面から読み合せチェックを行います。
■第1面
第1面の法話は(前)、次号に(下)を掲載します。
みなさん、要点をつかんで見えるのでチェックがスムーズに進みます。
フリガナ、日時、曜日、誤字、一字下げ・・・・・・。
■第2面
第2面は帰敬式特集です。写真を大きくしてあります。迫力満点ですよね。
■第3面
・絵画展とコンサート
・春の法要に参拝
・赤羽別院春季彼岸会
・第10組同朋のつどい
・赤羽ブロック世話方会研修
・花まつり
・親しまれるごぼさんに学生の清掃と手紙
・広告(1件、佛光さま)
■第4面
・ナイスショット
・帰敬式に感謝
・第10組帰敬式法座
・夏の勉強会のご案内
・お寺の掲示板
・第22回御坊俳壇・川柳
・作品募集 こども絵画コンクール
・編集室
□□□
6月20日に刷り上がります。
6月20日(木)の午後4時に集合し、折り作業・各組への発送準備をします。
次号(第60号)の企画案を確認し編集会議を終えました。
櫻部編集長はまだまだ気が抜けません。PDF原稿を印刷会社に送るまでは・・・・。
感謝・感謝・感謝ですよね。
ほんとにご苦労様です。
(報告 牧野敏夫9
2019-06-05(水)
今年も第10組さん、大型バス2台でお見えですよ。毎回凄いことですよね。
曇り空です。雨の心配は無さそうです。ほっとします。
地元志貴野町町内会長さんを始め、本当に地元のみなさんには頭が下がりますよね。
9時30分になりました。読経が始まります。
各組長(第8組~第13組)、門徒会長、地元世話方さんの焼香が始まります。
岡崎教務所安田所長より挨拶があります。
西尾市葵町に来ました。市営グランド駐車場に車を停め、少し歩きますと台嶺殉教の碑が高く聳えています。お茶の接待があります。線香をいただき焼香をします。花が綺麗に飾られていますよ。
ここも第10組の皆さん、地元世話方の皆さんで盛り上がります。
11時30分になりました。鍵役(法名信教院)さんと一緒に台嶺碑・女子焼死事件吊魂碑前でお経をあげます。
午後1時、赤羽別院にて殉教記念法要が鍵役さんを導師にお迎えし厳かにお勤めされました。
鍵役さんから挨拶がありました。
殉教記念法話の講師は青木馨氏(第14組蓮成寺)です。
講題は主催者から大浜事件、石川台嶺さんのことを基本の一の一からお話ししてほしいと要望がありましたとお話しされました。
三帰依文から始まります。
明治の初め、廃仏毀釈がどのように為されていったか。藩から県に変わる過程や菊間藩の領地の飛び地など、レジメをもとに身振り手振りで青木講師の熱が私に伝わります。
石川台嶺の「幽囚日誌」の説明が始まります。
取り調べの内容が詳細に書かれています。
この大浜事件から学ぶこと。・・・。
(報告 牧野敏夫)
2019096-04(火)
岐阜県海津市の高須別院さんご一行(21名)の団体参拝です。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア』より
真宗大谷派高須別院二恩寺(しんしゅうおおたにはたかすべついんにおんじ)は、岐阜県海津市にある真宗大谷派の寺院である。同派の別院。通称は、「高須御坊」、「ご坊さん」、「助命壇」。助命壇は、この地域が洪水になるとこの二恩寺に避難し、命が助かったことから。二恩とは、「仏恩」「世恩」を受けて成就したことを意味する。とあります。
※真宗大谷派 大垣教区第17組推進員連絡協議会より
高須別院と門信徒 明治11年6月独立して別院となった後、24年10月の濃尾地震で高須別院は倒壊。この間、木材などを集め復興に努めましたが、明治29年の大雨による大洪水で用材は全て流失。それでも門信徒の努力により大正6年 間口11間奥行き9間の本堂がようやく完成。この間、遅々として復興が進まないことを憂えた女性門徒が一日も早い落成成就への思いを込めて自らの髪と志金を寄進し、漆で髪を塗り固めた立像を製作。この多くの苦難を超えて、被災後36年を経てようやく本堂の落成を見ることができたのです。立像は「毛仏さん」と呼ばれ、毎年4月17日には聞法道場の復興にかけた先人の熱意と遺徳を偲びつつ別院婦人会によって法要が勤められています。
名古屋東別院参拝を終え碧南市で昼食。午後1時40分に大型バスでお見えになりました。いったん通り過ぎ向きを変えバックで入ります。毎回のことですがバスが山門前にバックで入るには運転手さんのご苦労に頭が下がりますよね。感謝・感謝ですよね。 真宗宗歌で始まります。三浦輪番より挨拶があり、赤羽別院パンフ片手に歴史の説明があります。また、赤羽地域教化センターの説明もあります。丁度明日が、志貴野製瓦場記念碑法要・石川台嶺殉教記念碑法要があるということでその説明もあります。
質疑応答の時間です。
高須病院がありますが・・・そうですその高須克弥氏ですよ。
念仏ばあちゃんの発祥の海津市です。
難波別院
お斎
お大仏のおみがき
海津市の人口は約3万5千人
葬儀
墓
最後に恩徳讃です。
(報告 牧野敏夫)
2019-04-24(水)
午後7時00分赤羽御坊新聞第59号の第3回目の編集会議を行いました。
少し内容を紹介しますね。紙面の都合上、次回号に掲載の記事もあります。
■第1面記事
・報徳会法話(4月11日)
講師は三島多聞氏です。
前半、後半の2回に分けて掲載します。
お念仏はこころの呼吸(前)第59号(7月1日号)
お念仏はこころの呼吸(後)第60号(10月1日号)
・別院行事
■2面記事
□帰敬式写真特集
・61名が帰敬式
・報徳会厳修
■第3面
・春の法要に参拝
・赤羽別院お彼岸会
・同朋の集い
・赤羽ブロック世話方会研修
・花まつり
・帰敬式に感謝
・広告(1件)
■第4面
・志貴野製瓦場記念碑法要
・殉教記念法要
・崇敬区内夏の学習会告知
・同朋の集い
・お寺の掲示板
・第22回御坊俳壇・川柳
・編集室
■取材(記事、録音、写真)の担当者を決め編集会議を終えました。
次回編集会議は 6月6日(水)です 。
広報部のみなさん、お疲れさまでした。
(報告 牧野敏夫)
5月22日午後3時より赤羽別院庫裏にて「2019年度赤羽別院護持御依頼金について割当審議会」が開催され、出席しました。
活発な議論が交わされました。結論として昨年同様と決まりました。
殉教記念法要の案内ポスター(写真)をパチリ。
5月29日、「赤羽御坊新聞第59号」の編集会議を行います。最終チェックに時間をかけます。
(報告 牧野敏夫)
5月7日、赤羽ブロック世話方1日研修会で訪れた金台寺様から「御名の園」をいただき、感謝感謝です。第1号の編集後記に「法然聖人は善導一師に、源通寺禿顕城師、山形県格智舎の元沢老山翁は、香樹院一師に籍られたと。自分はそれほどには、なけれど。多田鼎師に導かるるところは誠に大きい。この恩師の転載を。師の未亡人及びご子息からお許しを蒙ったこと、これはまた大きな喜びであります。今後つづいて其の慈光に浴させて頂きます」とあります。
感謝感謝ですよね。
赤羽別院本堂の入口右の本棚にあります。手に取ってお読みくださいね。
(報告 牧野敏夫)
5月12日(日) 精立寺 にて相続講を勤行しました。
私の所属する真宗大谷派岡崎教区第九組(吉良町、幡豆町11カ寺)では毎月12日に各寺院持ち回りで相続講を開いています。
その内で毎回最後に、闡如上人御消息(お手紙)を拝読されます。その内容が気になりますよね。全文を紹介します。
闡如(せんにょ)上人御消息(ごしょうそく)
夫(それ) 真宗の肝要は他力一念の信心にあり
されば男女貴賤(きせん)を簡(と)はず宿善の機あって善智識のことばの下に帰命の一念おこりぬればすなわち韞攝取の光益にあづけしたもうなり その後念仏もうすは初め発起せる一念の信に相続せられて本願をおもうこころの断(た)えされば 憶念の心つねにして佛恩報するおもひありというなり されば決定(けつじょう)の信といふも この念相続にありと知られたり
抑(そもそも) 相続講は明治十八年厳如上人の創(はじ)めて設けたもう所にして爾来(じらい)六十餘(よ)年の久しきにおよべり その間外に宗勢の伸張を遂げ 内に教学の興隆を致せり かくて法義相続と本廟護持との運営にはつねに相続講の伴へること影と形とのごとくなり これ固より佛祖の冥祐に由るとはいへども諸国門末の深厚なる念力に俟(ま)つもの多大なり 然るに時遷(うつ)り歳改(としあらた)まりて世態の転変常なきのみならず戦後の日本は人心荒廃(こうはい)して邪教心を惑(まど)わしめ人々その帰する所を失わんとして邦家の前途測るべかざるものあり されば流れを真宗に汲めるもの 今の時に当り深く省みてさらに法義相続に思いを寄せ歓喜報恩の心を新にせば平和国家の建設も亦 難(かた)からず本廟の護持もおのずから達成せらるべし これ予が夙夜(しゃくや)に念願して忘るる能(あた)わざるところあり
惟(おも)うに宗祖聖人が愚禿と稱し身を田夫野叟(でんぶやそう)にひとしうたまへるも在家無智の人人と膝を交(まじ)えて語らんが為に外(ほか)ならず
中興上人また頻(しき)りに談合を奨(すす)めたまい世世の先徳この精神を相承血脈(そうじょうけつみゃく)せられたるにより真宗これによって興(おこ)り念佛これよって盛んなることをえたり されば当流にその名をかけし面々を初め一般有縁の人人にいたるまでも必ずこの講に加わり心を新たにして聞法の席に列し互いに信心の有無を沙汰し歓喜讃仰(さんごう)の生活に入り報土得生の素懐を完からしむべし
しかれば此際(このさい)相続講の機能を更新せしめ会合のあるところ必ず信心にうとうとしからす
聞法と談合とにより法悦を深め日ごろの誤(あやまり)をひるがへずのみならず互いに心を練り徳を磨いて新時代に対応せしむべきなり
わけて婦人の身はその温柔(おんじゅう)貞淑(ていしゅく)の徳を養い社会平和の中心となられたし かくて家庭に佛種の絶えずして家家永く相続せられるのみならず村にも町にも佛心の薫化するところ自(おのずか)ら諍(いさか)いなかるべし されば宗祖聖人が教行信証六軸の最後を結ぶに
前(さき)に生れむ者は後(のち)を導き
後に生まれむ者(ひと)は前を訪(とぶ)らひ
連続無窮(むぐう)にして願わくば
休止せざらしめん
という語を以てせられしも亦 この相続講の本旨に外(ほか)ならざるべし 冀(こいねが)わくはこの講の更新に縁(よ)って真実の佛法を興隆し一味の信海に帰入せしめん 若し多数の講員力を協(あわ)せて事に当らば以て山をも抜(ぬ)くべく 海をも覆(くつがえ)すべし されば誰の人も大悲の願心に徹し自利々他をして連続無窮(むぐう)ならしめんことこれ予が門末一同の誠意に愬(うった)え切(せつ)に念願して息(や)まざるところなり
あなかしこ あなかしこ
昭和廿五年八月六日
釈闡如
(報告 牧野敏夫)
富山教区住職団参
去る5月9日、富山教区の住職さんが来院されました。
一行は三浦輪番より、赤羽別院の沿革・山門に関するエピソード・教化センターの活動や課題などについてお話をされました。
また、お一人おひとりから感想・寺が抱えている課題をお聞きし、私たちの組と同じ悩みを抱えていることを痛感しました。
(報告 牧野敏夫)
岡崎教区門徒会長研修
5月10日、岡崎教務所にて第2回目の研修が行われました。テーマは「これからのお寺をどうするか」です。5班に分かれ自己紹介を手始めに、お手次寺の置かれた立場や報恩講も集まりが年々減っている・・・・・・。
各班、活発な意見が出され、最後に座談の報告が行われました。
(報告 牧野敏夫)
2019-04-24(水)
午後7時00分赤羽御坊新聞第59号の第2回目の編集会議を行いました。
紙面のレイアウトが凡そ決まりました。第2面に帰敬式写真特集を組みました。楽しみですね。一眼レフカメラ撮影の写真を次回編集します。
少し内容を紹介しますね。紙面の都合上、次回号に掲載の記事もあります。
■第1面記事
・報徳会法話(4月11日)
講師は三島多聞氏です。
・別院行事
■2面記事
・帰敬式写真特集
・帰敬の集い
・帰敬式
・帰敬式を受式して
・報徳会
・殉教記念法要
・春彼岸会
・別院団参(富山教区第11組ご一行、高須別院ご一行)
■第3面
・赤羽ブロック世話方会研修
・花まつり
・帰敬式法座
・春の法要
・製瓦場
・広告(1件)
■第4面
・崇敬区内夏の学習会告知
・同朋の集い
・お寺の掲示板
・第22回御坊俳壇・川柳
・編集室
■取材(記事、録音、写真)の担当者を決め編集会議を終えました。
次回編集会議は 5月29日(水)です 。
広報部のみなさん、お疲れさまでした。
(報告 牧野敏夫)
2019-04-14(日) 13:00
YONDOKUREN主催の絵画企画展に続き今日は音楽コンサートです。
沖縄民謡が心に残りますよね。来年4月に岡崎教区の沖縄現地研修があります。
一昨年の那覇市内の居酒屋での民謡と響いてきますよね。
みなさん手弁当でLIVEを盛り上げていますよ。
前も書きましたが
「絵画などの芸術作品を通じて福祉に関心を持ってもらい、人と人との壁をなくしたい」と主催者のコメントをいただきました。
(報告 牧野敏夫)
・4月10日(水)
朝から冷たい雨と風、明日は天気大丈夫かなぁ~。明日は赤羽別院で帰敬式・報徳会があります。予報を見ると晴になっています。
・4月11日(木)
少し風はありますが快晴です。桜の花びらもあります。報徳会受付テントの中の机と段ボール箱が吹っ飛びます。時たま風が吹きます。本山御一行様の到着時には風は収まりぽかぽか陽気になってきましたよ。
10時少し前に山門前にご到着です。三浦輪番の案内で皆さんの注目を集めながら本堂前に。
ここからは写真で雰囲気を味わってくださいね。(61名の門徒さんが帰敬式を受式されますよ。)
・法話は三島多聞氏(高山別院輪番)です。法話内容は赤羽御坊新聞第59号(7月1日号)に掲載しますのでお楽しみにしてくださいね。写真で雰囲気を感じてくださいね。
・廊下にYondokurenさんの絵画の展示がありました。「絵画などの芸術作品を通じて福祉に関心を持ってもらい、人と人との壁をなくしたい」と主催者のコメントをいただきました。
・大谷暢裕鍵役さんと記念写真ですよ。緊張しますよね。
・受付、昼食係、駐車場係、会場係、接待係、ほんとにほんとに門徒会・ブロック世話方会、教化センターのみなさんご苦労様でした。
(報告 牧野敏夫)
ぽかぽか陽気で蕾が綻び始めましたね。今週末にこれで一気満開ですね。
四衢亮講師
2019-03-26
今日は歎異抄第3章です。
四衢講師は第3章を起承転結の説明をされ、五つに分けて説明をされました。善人・悪人の一番理解するのに難しい場面ですよね。
全員で段ごとに唱和します。
①善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。しかるを、世のひとつねにいわく、悪人なお往生す、いかにいわんや善人をや。この条、一旦そのいわれあるににたれども、本願他力の意趣にそむけり。
②そのゆえは、自力作善のひとは、ひとえに他力をたのむこころかけたるあいだ、弥陀の本願にあらず。
③しかれども、自力のこころをひるがえして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。
④煩悩具足のわれらは、いずれの行にても、生死をはなるることあるべからざるをあわれみたまいて、願をおこしたまう本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因なり。
⑤よって善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、おおせそうらいき。
※四衢講師よりレジメをいただきましたので紹介しますね。
2019.3.26
赤羽別院真宗講座
お念仏の救い一『歎異抄』を通して
高山教区 四衢 亮
ー第3章ーー
<現代語訳>
ひとつ、「善人でさえ浄土に往生できるのですから、悪人が往生できることは言うまでもないことです。」しかし、世間では必ずこう言います。「悪人でも往生できるなら、善人が往生でき救われるのは言うまでもない、と。」このことは、一見もっともな道理のように聞こえますが、まったく阿弥陀仏の本願のこころに反しています。
そのわけは、自分で努力して自らを救おうと善や行を積む人は、自分の力を頼んで、阿弥陀仏の本願を信じ頼む心が欠けていますから、本願の対象となる人ではありません。
しかし、その自力作善の人も、自分で自分を救おうという心を翻して、阿弥陀仏の本願を信頼するならば、真実の世界である浄土に往生できます。
煩悩が全てにわたって備わっている私たちは、どのような行によっても、迷いの世界を離れることができないことを悲しまれ、阿弥陀仏が本願を起こされた本意は、悪人が成仏するためのものです。ですから、本願を信頼する悪人が、まさしく往生するものなのです。
それで「善人でさえ浄土に往生するのです。言うまでもなく悪人は往生するとおっしやったのです。
<自力作善について>
異学というは、聖道外道におもむきて、余行を修し、余仏を念ず、吉日良辰をえらび、占相祭紀をこのむものなり。これは外道なり。これらはひとえに自力をたのむものなり。別解は、念仏をしながら、他力をたのまぬなり。別というは、ひとつなることをふたつにわかちなすことばなり。解は、さとるという、とくということばなり。念仏をしながら自力にさとりなすなり。かるがゆえに、別解というなり。また、助業をこのむもの、これすなわち自力をはげむひとなり。自力というは、わがみをたのみ、わがこころをたのむ、わがちからをはげみ、わがさまざまの善根をたのむひとなり。(『一念多念文意』)
まず、自力と申すことは、行者のおのおのの縁にしたがいて、余の仏号を称念し、余の善根を修行して、わがみをたのみ、わがはからいのこころをもって、身・口・意のみだれごころをつくろい、めでとうしなして、浄土へ往生せんとおもうを、自力と申すなり。 (『血脈文集』 1)
<自力のこころをひるがえして>
「回心」というは、自力の心をひるがえし、すつるをいうなり。(略)自力のこころすつというは、ようよう、さまざまの、大小聖人、善悪凡夫の、みずからがみをよしとおもうこころをすて、みをたのまず、あしきこころをかえりみず、ひとすじに、具縛の凡愚、屠治の下類、無碍光仏の不可思議の本願、広大智慧の名号を信楽すれば、煩悩を具足しながら、無上大涅槃にいたるなり。煩は、みをわずらわす。悩は、こころをなやますという。屠は、よろずのいきたるものを、ころし、ほふるものなり。これは、りょうしというものなり。沽は、よろずのものを、うりかうものなり。これは、あき人なり。これらを下類というなり。
(『唯信鈔文意』)
<難行・易行>
仏法に無量の門あり。世間の道に難あり、易あり。陸道の歩行はすなわち苦しく、水道の乗船はすなわち楽しきがごとし。菩薩の道もまたかくのごとし。あるいは勤行精進のものあり、あるいは信方便の易行をもって疾く阿惟越致に至る者あり。 (『行巻』易行品)
『論の註』に日わく、謹んで龍樹菩薩の『十住毘婆沙』を案ずるに、云わく、菩薩、阿毘跋致を求むるに、二種の道あり。一つには難行道、二つには易行道なり。難行道は、いわく五濁の世、無仏の時において、阿毘跋致を求むるを難とす。この難にいまし多くの途あり。粗五三を言うて、もって義の意を示さん。一つには、外道の相善は菩薩の法を乱る。二つには、声聞は自利にして大慈悲を障う。三つには、無顧の悪人、他の勝徳を破す。四っには、顚倒の善果よく梵行を壊す。五つには、ただこれ自力にして他力の持つなし。これ等のごときの事、目に触るるにただ是なり。たとえば、陸路の歩行はすなわち苦しきがごとし。「易行道」は、いわく、ただ信仏の因縁をもって浄土に生まれんと願ず。仏願力に乗じて、すなわちかの清浄の土に往生を得しむ。仏力住持して、すなわち大乗正定の聚に入る。正定はすなわちこれ阿毘跋致なり。たとえば、水路に船に乗じてすなわち楽しきがごとし。
(親鸞聖人『行巻』浄土論註引文)
※阿毘跋致:avaivartika の音写、退転しない、退歩しないという意味。
※五濁:劫濁・見濁・煩悩濁・衆生濁‘命濁。
<親鷺聖人の誕生>
源空光明はなたしめ
門徒につねにみせしめき
賢哲愚夫もえらばれず
豪貴鄙賎もへだでなし (親鷺聖人『源空和讃』)
籍かに以みれば、聖道の諸教は行証久しく廃れ、浄土の真宗は証道いま盛なり。然るに諸寺の釈門、教に昏くして真仮の門戸を知らず、洛都の儒林、行に迷うて邪正の道路を弁うることなし。ここをもって興福寺の学徒、太上天皇諱尊成、今上諱為仁聖暦・承元丁の卯の歳、仲春上旬の候に奏達す。主上臣下、法に背き義に違し、忿を成し怨を結ぶ。
これに因って、真宗興隆の大祖源空法師、ならびに門徒数輩、罪科を考えず、猥りがわしく死罪に坐す。あるいは僧儀を改めて姓名を賜うて、遠流に処す。予はそのーなり。しかればすでに僧にあらず俗にあらず。このゆえに「禿」の字をもって姓となす。空師ならびに弟子等、諸方の辺州に坐して五年の居諸を経たりき。
皇帝諱守成聖代、建暦辛の未の歳、子月の中旬第七日に、勅免を蒙りて、入洛して巳後、空、洛陽の東山の西の麓、鳥辺野の北の辺、大谷に居たまいき。同じき二年壬申寅月の下旬第五日午の時、入滅したまう。奇瑞称計すべからず。
『別伝』に見えたり。
然るに愚禿釈の鷺、建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す。元久乙の丑の歳、恩恕を蒙りて『選択』を書しき。同じき年の初夏中旬第四日に、「選択本願念仏集」の内題の字、ならびに「南無阿弥陀仏 往生之業 念仏為本」と、「釈の綽空」の字と、空の真筆をもって、これを書かしめたまいき。 (親鸞聖人『教行信証』化身土巻)
流罪以後愚禿親鷺と書かしめたまう也。 (『歎異抄』添え文)
<正像末の歴史観>
釈迦如来かくれましまして
二千余年になりたまう
正像の二時はおわりにき
如来の遺弟悲泣せよ
末法五濁の有情の
行証かなわぬときなれば
釈迦の遺法ことごとく
龍宮にいりたまいにき (『正像末和讃』)
しかれば穢悪・濁世の群生。末代の旨際を知らず。僧尼の威儀を毀る。今の時の道俗、己が分を思量せよ。『化身土巻』)
<浄土真宗の証道>
信に知りぬ、聖道の諸教は、在世正法のためにして、まったく像末・法滅の時機にあらず。すでに時を失し機に乖けるなり。浄土真宗は、在世・正法・像末・法滅、濁悪の群萌、斉しく非引したまう声や。(『化身土巻』)
およそ大信海を案ずれば、貴賎・緇素を簡ぱず、男女・老少を謂わず。造罪の多少を間わず、修行の久近を論ぜず、『信巻』)
「源空が信心も、如来よりたまわりたる信心なり。善信房の信心も如来よりたまわらせたまいたる信心なり。されば、ただひとつなり。」 (『歎異抄』後序)
<非僧非俗―親鸞聖人の姿勢>
「名字の比丘」というのは、名前だけは比丘であるが、破戒・無戒の僧である。「剃除鬚髪して身に袈裟を着たる名字の比丘」とも言われている。鬚髪を剃除して、袈裟を身に付けているが、戒律を守らず、形だけの比丘ということである。末法には「名字の比丘」だけがいるのであり、持戒の比丘がいたら、街中に虎がいるように奇怪なことだというのである。(略)
親鸞は、流罪に遭った時、還俗させられたが、そのまま俗に留まったわけではなかった。それを逆手に取って、「非僧非俗」の愚禿親鸞鷺を名乗った。ここで、「非僧」の方は分かりやすいが、なぜ「非俗」でなければならないのか、これは従来あまり問題とされていないが、非常に重要なことである。
おそらくそれは、親鸞があくまで仏法の継承者を自認していることによるのであろう。ただ弥陀の本願力によって救われるというだけであるならば、在家であってもまったく問題ないはずである。(略)
「非僧非俗」とは、「名字の比丘」のことに他ならない。「非僧」であっても「俗」であってはならない。正しい仏法を伝える「名字の比丘」は尊敬されなければならない。だから、親鸞は生涯剃髪して、袈裟を脱がなかった。自分こそ正しい仏法の継承者だという強烈な意識が親鸞を支えている。「非僧非俗」の「愚禿親鸞」は、まさしく末法における「名字の比丘」に他ならない。
(末木文美士著『親鷺』より)
無戒名字の比丘なれど
末法濁世の世となりて
舎利弗目連にひとしくて
供養恭敬をすすめしむ
末法悪世のかなしみは
南都北嶺の仏法者
輿かく僧達力者法師
高位をもてなす名としたり
(『愚禿悲嘆述懐』)
※司会者より来年の「真宗講座」の講師を引き続いて四衢講師にお願いしましたと報告がありました。
合掌
(報告 牧野敏夫)
赤羽別院本堂にて「真宗講座3日目」の様子
2019-03-20(水)
午後4時30分より刷り上がった赤羽御坊新聞第58号の折り作業及び各組への配送数量チェックを行いました。
引き続き赤羽御坊新聞第59号の第1回目の編集会議を行いました。 今日は7名の出席ですよ。出席が多いと活気が出ますよね。
少し内容を紹介しますね。
■第1面記事
・報徳会法話(4月11日)
講師は三島多聞氏です。事前に1面記事掲載のお願いをし許可を得ます。
・別院行事
■2面記事
・帰敬の集い
・帰敬式
・帰敬式を受式して
・報徳会
・殉教記念法要
・春彼岸会
・
■第3面
・赤羽ブロック世話方会研修
・花まつり
・上山奉仕
・春の法要
・広告
■第4面
・崇敬区内夏の学習会告知
・
・お寺の掲示板
・第22回御坊俳壇・川柳
・編集室
■取材(記事、録音、写真)の担当者を決め編集会議を終えました。
次回編集会議は 4月 日( )です 。
広報部のみなさん、お疲れさまでした。
(報告 牧野敏夫)
2019-03-17
午後2時より赤羽別院にて4月11日に執り行われる帰敬式の事前学習会「帰敬の集い」が行われました。外は小雨が落ちたり止んだりする天気です。
用意された椅子は60席です。(椅子の後ろに番号札があります)
・真宗宗歌斉唱です。
・勤行 正信偈
・三浦輪番より挨拶があります。続いて配布された冊子を見ながら三浦輪番より帰敬式式次第の説明に耳を傾けます。真宗宗歌を斉唱、続いて三帰依文を斉唱します。剃刀の儀を受けるときの姿勢についての説明、また鍵役からのお祝いの言葉、法名の受け取り等について、またQ&A形式で「帰敬式実践運動」「仏弟子となります」「三帰依文って何ですか?」「髪をおろすってどういうこと?」「帰敬式を受ける時に気をつけることは?」等の説明に受式者のみなさん一つひとつ頷ずきながら進みます。感話は昨年に続いて外山修氏(第10組 嚴西寺門徒)です。最後に恩徳讃を斉唱し、閉式の辞となりました。
合掌
(報告 牧野敏夫)